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Dans l’ouverture du monde 〜開かれている世界の中で〜

拝啓、日本のみなさま

ATELIER からいただいた質問を拝見し、お返事できることを大変嬉しく思います。
私はいつも日本の皆さまとの深い結びつきを感じてきました。
日本のみなさまは、目に見えないもの、時の移ろい、そして物に宿る魂に対して、稀有な感性をお持ちだからです。
少し長くなりますが、私自身のこと、そして私の作品について、私なりにお話しできることを綴ってみます。

Michèle RAYMOND (ミッシェル・レモン)


1 自然とともに生きること
2 世界が動き出す直前、そして光とともにはじまる一日
3 暮らしの中にある静かな時間
4 美しいものと共に暮らす
5 眠りと目覚め
6 身体と粘土
7 記憶の中にある原風景
8 風と逆説
9 芸術が私たちに残してくれるもの
10 見えないものを見えるものへ
最後に 足跡として残るもの


1. 自然とともに生きること

自然は、私の人生においてとても大切な存在です。
私のアトリエは豊かな自然の中にあります。
そこでは季節はただ通り過ぎるのではなく、一日のリズムそのものを決定づけています。
冬の光は低く、どこか控えめで、私を内省へと誘います。研究を重ねたり、デッサンを描いたりする時間です。
春になると空気が変わり、より生命感に満ちてきます。それはまさに、2026 年の展覧会「目覚め(S’éveiller)」で表現したいと考えたものです。
私が扱う土は空気の変化にとても敏感です。乾燥しすぎるとひび割れ、湿気が多すぎると形を保てなくなります。
創作とは、毎日天候と対話しながら折り合いをつけていくことでもあります。
自然は視覚的なインスピレーションを与えるだけでなく、その時間の流れを私の手に課しているのです。
私は毎日、田舎道や森の中を歩きます。そうした時間は、アトリエでの制作と交互に訪れながら、私の暮らしそのもののリズムになっています。制作が難しく感じられる時も、歩いているうちに、ふと解決の小さな断片が見えてくることがあります。
耳の奥に響く風のうなり、肌に触れる空気の震え。
そうした振動を身体で感じることは、私にとって欠かせないことです。
私は、その感覚を創作の中に存在させたいのです。

アトリエの中から窓の外を眺める


2. 世界が動き出す直前、そして光とともに始まる一日

私が日々の中でもっとも感覚を開いている瞬間は、おそらく夜明けの時間です。
世界が動き出す直前の朝の静寂の中で、私の感覚は最も開かれます。
木々の樹皮に触れ、立ち上る霧を眺めます。
そして毎朝、私は中庭を横切ってアトリエへ向かいます。
その日の光を感じるためです。
アトリエには大きなガラス窓が二つあり、天窓からも光が降り注ぎます。
そこで私は、窓辺で静かにお茶を飲みながら、制作途中の作品をあらためて見つめ直し、乾燥中の作品に光が差し込む様子を見つめます。すると、何が良く、何を手直しするべきかが、すぐに見えてきます。
本当に瞬時にわかるのです。
私の人生は、ずっとこの感覚を中心に回っています。

窓から光が差しこむ、静かなアトリエ

アトリエ内には無数の陶板やオブジェが佇む


3. 暮らしの中にある静かな時間

私の家は、ゆっくりとした時間の流れの中で息づいています。
身の回りにあるものは、どれもそれぞれの物語を持っています。
夕暮れに大きな木々を渡る風の音や、暖炉で薪がはぜる音。
それらは私を本質へと立ち返らせ、長い制作の日のあとに心を解き放ってくれます。
1974 年にBeuxesへ移り住んで以来、私はこの土地で暮らしてきました。
アトリエを構え、作品を焼くための薪窯を作り、広い田園の中で制作を続けています。
3 ヘクタールの敷地には、自然の木々や植えた木々が育ち、小さなトリュフ畑もあります。

作品を焼くための手づくりの窯
敷地内の木々、風、光を感じながらゆっくり過ごす日常

時間帯によって作品の表情は変化する


4. 美しいものと共に暮らす

私にとって、「所有」というものにはほとんど意味がありません。
私は自分の作品を所有しているとは思っていません。むしろ共に暮らしているのです。
いくつかの彫刻は、最終的な持ち主のもとへ旅立つまで、何か月も展示室に留まります。
私はそれらが時間帯によって変化する様子を見守ります。
そうして作品たちは静かな伴侶のような存在になります。
美しいものと共に暮らすことは、もっともささやかな日常の所作の中に詩を保つ方法です。
大切なのは、この世界を使いながら生きること。
私たちの周囲にあるものと共に暮らし、その中から喜びや美しさ、問いや学びを受け取ることです。
自然の中では、創造が一瞬ごとに生まれ続けています。
私はその絶え間ない生成の気配に、いつも心を開いていたいと思っています。

庭にある大きな女性像


5. 眠りと目覚め

展覧会のポスターに描かれている、自らの内側へと折りたたまれたような姿は、「内への回帰」を表しています。
私にとって睡眠や休息は、何もしない時間ではありません。
むしろ何かが育まれる時間です。
私の彫刻の形はしばしば丸まり、曲線を描き、まるで秘密を抱え込むように閉じています。
それらは夢を見る身体、そしてやがて開かれていく身体を想起させます。
目覚めの前に力が蓄えられるのは、この守られた内側の空間なのです。
私にとって、すべては瞑想であり、受容です。
休息している時でさえ、身体と身体自身との特別な関係を示すような形のヴィジョンが現れてきます。

作品をつくるためのイメージデッサン

「内への回帰」を表現した女性像


6. 身体と粘土

身体の広がりや重さ、動き、各部分の比率。
そうした感覚を、私は静かに見つめ続けています。
よく「なぜあなたの作品は、こんなに足が大きいのですか」と尋ねられます。
けれど私には、自分を支えている足が、とても大きく重い存在として感じられるのです。
私はその感覚を、そのまま形にしています。
身体と空気、皮膚と風、その境界はとても曖昧です。
皮膚が風や熱を受け取るように、粘土もまたそれらを受け取ります。
私が粘土を造形するとき、目指しているのは写実的な人体ではありません。
「息吹を見えるものにすること」です。
そして、「見えないものを、そのまま見えるものにすること」です。
作品の凹みや曲線は、光や空気がそこを巡り、留まるように考えられています。
私の彫刻は土の表面で終わるのではなく、影の働きによって、その周囲の空間へと続いているのだと私は考えています。
そうして生命は物質の中に留められながらも、逆説的に、「一瞬の永続性」を宿すのです。

足を組んだ女性像


7. 記憶の中にある原風景

粘土は、記憶のための素材そのものだと思います。
それはほんのわずかな触れ合いの痕跡さえも留めておくからです。
無意識のうちに私の手は、とても古い感覚を再び生み出しています。
子どもの頃、川辺で遊んだ泥のやわらかな感触。
海辺で潮干狩りをしたときに拾った小石の形。
泥の中の暗闇で、触れるだけで見分けることができた貝殻の感覚。
身体は何も忘れません。
彫刻とは、それらの記憶を再び地表へと浮かび上がらせる方法なのです。

風に髪をなびかせる女性像


8. 風と逆説

風は、私にとって特別な存在です。
風は種や匂いを運びながら、絶えず移動し続けています。
私にはそれが、人間の根源的な欲望の象徴のように思えるのです。
風は、精神の旅のように、私たちを遠くへ連れていきます。
ここにいながら、どこか別の場所を夢見ること。
現在の中に深く存在しながら、同時にどこかへ不在になること。
そうした感覚は、幼い頃から私の中にありました。
私はフランス西部を流れるシャラント川のほとり、その河口が西の大西洋へと注ぐ土地の近くで生まれ育ちました。
私は、生命や創造の本質には、常に逆説があると感じています。
だから私の作品には、大きな足、小さな頭、静けさの中の動き、軽やかさと重さといった、相反するものが共存しています。
土は重く、塊であり、動きません。
しかし私がそこに与える形は、軽やかさや動きを求めています。
彫刻は、今にも呼吸しそう、あるいは動き出しそうに見えるときに成功しているのです。
その緊張関係の中から生命が生まれます。
風に持ち上がる髪もまた、そのひとつです。

アトリエ内のインスピレーション源


9. 芸術が私たちに残してくれるもの

ますます速度を増し、デジタル化し、非物質化していく世界の中で、私たちは深刻なほど「物質」を失っています。
人間には立ち止まり、触れ、感じることが必要です。
芸術作品や工芸品は、私たちを現実につなぎとめる拠り所になります。
手仕事によって生まれたものを手に取ることは、それを作った人の人間性に触れることでもあります。
芸術は私たちに思い出させてくれます。
私たちは機械ではなく、肉体と土と感情からできた、感じる存在なのだということを。
芸術は、人類とともに始まったものだと私は思っています。
それは人間という存在の「署名」のようなものです。
人が立ち上がり、地平線を見つめた時、彼らは洞窟に絵を描き、線を刻みました。
豊穣のヴィーナスたちも、その手の中から生まれました。
芸術とは、私たちが過ぎ去ったあとも、その痕跡を静かに語り続けるものなのです。

制作に勤しむミッシェル氏


10. 見えないものを見えるものへ

20 世紀を代表する画家、アンリ・マティスもまた、彫刻を制作しました。
彼は「自然には存在しない影を生み出すために」と語っています。
造形芸術は常に自然と向き合いながら、自然に並行する調和を探し続けています。
絵画は色彩を扱い、彫刻はより静かな素材を扱います。
けれど両者に共通しているのは、絶えず「描き続ける」ことです。
平面の上でも、粘土の中でも。
彫刻家は、次々と現れる輪郭を重ね合わせながら、境界のない移行を作っていきます。
形は少しずつ回転し、変化し、その移ろいの中から振動が生まれ、生命が立ち現れてくるのです。
生命の感情は、より内面的なものですが、感覚として確かに存在しています。
眠り、夢、喜び、遠さ、驚き、風……。
私にとって彫刻とは、言葉のない対話です。
それは世界に向かって、「私の内側で人生がどのように感じられているのか」を伝える方法です。
それは目に見えないもの ——
魂、息吹、目覚め ——
を物質として現そうとする試みです。
そして国境や言語を超えて、それを他者と分かち合うための試みでもあります。
私の仕事はすべて、このひとつの考えに基づいています。
—— 見えないものを、見えないものとして現すこと。
もしあなたが私の彫刻の中に、かすかな呼吸のようなものを感じるなら、それこそが、私が表現したいものです。
物質の中に宿る、宙づりの生命。
一瞬でありながら、永遠のように続いていく時間。
そこには、確かに逆説が存在しています。


最後に 足跡として残るもの

私は完成された完璧さを求めているのではありません。
むしろ、現れようとする途中のもの、消えようとする瞬間の揺らぎに惹かれています。
彫刻とは、世界や他者との関係を築き、確かめるための行為なのかもしれません。
身体の痕跡、その名残こそが、彫刻の本質なのです。
芸術とは、おそらく、ただそこに存在を差し出すための静かな身振り。
痕跡であり、余白であり、可視的なものの表面にそっと刻まれるもの。
それは、足裏のようなものかもしれません。
もっとも隠されている場所でありながら、確かに世界に触れている部分。
その痕跡は、どこまでも続いていくのです。

敬具
Michèle RAYMOND


Michèle RAYMOND (ミッシェル・レモン)
彫刻家でありセラミックアーティスト。
ベルギー・ブルージュのボザール (高等美術学校)を卒業後、ミッシェル・レモンは高温で焼くテラコッタのモデリングを専門とするようになる。
作品は、耐火砂岩あるいは磁器から作られた彫刻である。
「Sevres (セーヴル) 」タイプと言われる木の窯で、1300℃の高温で火を直接当てて焼かれ全ても一点もの。